揚げ栗。
これ美味しいんだー、渋皮がカリカリして。
塩をつけて食べませう。
昨日の新聞で
近頃のお葬式は火葬のみシンプルな「直葬」が増えている
という記事があった。
あ、WEBで読めるんだな。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090922/trd0909220846005-n1.htm
【直葬 ~消える弔い~】(上)消えてしまいたい
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090923/trd0909230800003-n1.htm
【直葬 ~消える弔い~】(中)仏教界 ズレ自覚
ちょうど前日に、
同居している両親に
「もう、私一人っ子で親の後始末はぜんぶやらなきゃいけないんだから、
捨てられるものは捨てておいてよ!」と
言っていたところなので
(一人っ子は「親の面倒みたくねー、でも逃げらんねー」って
思っている向きがある。
私の場合、先手を打って逃げられることは逃げてしまう)
この記事を「ほほう」と思いながら見てた。
うちの両親はこれでいいと思うし、私もこれでいいな、と。
そうしたらやはり父も記事を見て
「オレはこれでいいな」と言っていた。
なんと心の通じ合った親子か!
べつに宗教的儀式を否定するわけでも
アバンギャルドな気持ちからでも
ましてや「世をすねて」いるわけでもなく、
たぶんこの先、親も私も与えられた課題をこなして
ーー<生ききって>死ぬだろうから、
泡のようにこの世から消えてもよいという感じがしているのです。
「満足感」は自己評価ですもの。
たぶん、最期の状態でいちばんつらいのは、
儀式として弔われないことではなく、
「なんでこうなっちゃったのかわかんない」まま
死ぬときだと思います。
無念なのか、後悔なのか、どっちにしろつらいだろう・・・と思う。
その鎮魂が弔いの儀式なのでしょうけれど。
ともあれ、私は私の両親の荷物をできるだけ
なくしていただくように頼み、
(生きてるうちに重いものは一緒に運んでもらう)
万が一私が死んでしまったときのために
「直葬でよい」と遺言を書いておこうと思います。
真に親しい人なら、意味を受け取ってくれると思うんですよ・・・
(「真意を受け取ってくれる人がいる」というのも生ききった尺度かも)
お彼岸に、ふさわしい話題でしたでしょうか。