もう外出する余裕がないないといいながら
銀座の松屋でやっている、お友達の酒井さんの
展示を見に行く。
以前の記事:「古い銀細工のアクセサリー」
写真は山サンゴとオニキスのネックレス。
中央の真っ赤な山サンゴにぐっときて
超買いたかったんですが、貧乏でもあり
貧乏ゆえ外出するヒマなしの身であり
(アクセをつける機会がない・・・・)
・・・・要はただの貧乏で買うのを諦め、
酒井さんの手作り商品ではないが、
タイのワイルドシルクのショールを買った。
これならちょっとのお出掛けでも使える。
お友達ゆえ、買えるようになったら
山サンゴでオーダーさせてください、と約束して・・・。
酒井さんとは「きれい」と思う基準が同じで、
ごつごつした斑入りの石とか、
古い銀が黒くなったりツヤがなくなってるところや
形がぼこぼこなところなどに、お互い「ぐっ」と来るわけです。
なので、また山サンゴでいい感じのが入ったら
酒井さんのセンスにお任せして作ってもらう。
貧乏だけど、一種の贅沢。
・・・・ところでこの間書いた「直葬」についての記事が
ココログニュースで取り上げられたみたいですね。
私の感受性は一般的ではないと思いますが・・・・・
直葬でいいやと思っていても
多くの人は親戚が黙ってないとかさー、
「環境」に許されていないもの。
「供養にならない」とか、
宗教的ロジックで言ってくる場合もあるでしょう・・・。
(私自身は信仰心が深いほうですが、宗教的ロジックに返す言葉が
いまだ見つからない。信仰を否定しているわけではないから余計。)
私の知人が先日、元同僚を亡くし(知人より年下の50代だった)、
お葬式に行ったら、ガンで亡くなったせいで
ひどい面変わりをしてたそうで、
知人は見たくないとお棺への献花を拒否したんですって。
「俺の頭の中では元気なあいつのままなんだよ。
だから見たくなかったのに・・・」
周りの女性が「儀式だし、やってください」と、
まるで知人が非常識であるかのように
促したんだそうです・・・。
・・・・・・もし私が宗教家とか
すぴりちゅあるかうんせらーみたいな仕事の人だったら
「故人はわかってますから・・・」とか
説話みたいなものを交えて
元気づけることもできたでしょうが、
私にそのようなことが許されていると思えず、
黙って酒を酌み交わしながら話を聞いていました。
故人と、心の距離が近かったのはどっちだろう。
献花をしたほう? しなかったほう?
ね?