松島の五大堂付近から見た島々。
これらが防波堤になり、国宝の瑞巌寺や歴史建造物が
大津波から守られました。
本堂への入り口前にある延命地蔵。
説明を読むと造られたのは1868年(143年前)。
塩釜や石巻の有志によって造営されたと書いてある。
ここだけは、と守ってもらえたのでしょうか。
地元の祖霊から。
それとも先人の知恵として、島々が津波から守るとわかっていて
ここに大きな寺院を建てたのでしょうか。
どちらにしても、「願い」がこめられている。
修行者が集まってきた場所のなごり。
洞窟群。
本堂の瀟洒な作りより、自然景の中の穴が
ひたすら気になるワタシ。
(ちょうど自分の部屋くらいの大きさだからだろうか・・・
居心地よさそう・・・)
のちに伺った宇都宮のお友達のご主人(建築家)によりますと、
東北に行くほど造形が「大粒」になるそうです。
京都など都があった場所の造形がこまかーく繊細だとすると、
東北は大粒。
と、本塩釜からここまでは前回書いたように定期船で、
宿のある苦竹(にがたけ)から本塩釜までの移動は
仙石線という仙台から石巻まで通ってる電車を使ったのですが、
どうもこの時点では
この松島(海岸)駅付近から先が行けないようでした。
のちのち宿でオーナーに聞かれまして。
「仙石線でどこまで行けましたか?」と。
というのも、車を持ってる地元の人は
電車をあまり利用しないので、
運行状況をよく知らないようなのですね。
松島海岸までは確実に行けましたが(※8月5日当時)、
おそらくその次の駅あたりから先はまだ行けないようです、と
同宿で同じように被災地を見ておこうと考えた旅人に
情報をシェアする、という流れに。
電車で行けない場所へは臨時バスが運行しており、
この日相部屋になったHさんはボランティアに申し込んで
仙台駅からバスで行く工程を組み立てていました。
おふたりと挨拶したのは、宿への到着時間のズレから
翌朝だったのですが、
ゲストハウス梅鉢が想像以上に素敵な建物なので
その話題ですぐに打ち解けました。
あと、やはり一人旅同士は仲良くなりやすいですね。
(前日の晩はお友達同士のオバサマ2人でつるんでいたので
入る余地なし、でした)
Tさんはおっとりしたかわいらしいお嬢さん。
仙台出身でいまは埼玉在住なので、
ツイ友さんから聞いた「仙台あるある」を投げてみたら、
「あー、そうかも?!」と笑ってました。
Hさんは、福岡県から来られた高校の英語の先生。
津波の被害があった場所でのボランティア、
フリースクールの手伝いをしに単独で来られていました。
(ボランティア歴ははじめてではないそうです)
九州からはるばる来られた方ですが、
教え子たち、一緒にボランティアに行きたがったんですって。
「先生、僕らも連れてって」って。
だけど学校の職務を離れてのことですから
親御さんからお預かりする責任が伴うし、
交通費も滞在費もバカにならない。
なので、「あんたたちがもうちょっと大きくなったらね」って
言って、単身で来たのだそうです。
もう2学期が始まっていますし、きっと生徒たちに請われて
体験をお話しているでしょうね。
生徒だけでなく、
彼女のお友達も一緒に行きたがったそうですが、
小さなお子様がいるお母さんで、
代わりに行ってきて、とも言われ。
行きたくても行けない人がいて、
でも行ける人は行くし、
その気持ちを集めれば何かしらの形に
なっていくんじゃないでしょうか。
おふたりにはこの記事の報告にメールしますので、
あれからどんなことがあったか、聞いてみますね。
次は仙台に戻って、七夕祭りのことを。
いやー、きれいだった。
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